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彰義隊 / 吉村昭

2009/01/06 Tue [Edit]

最近あまり本を読まなくなってきたのですが、とりあえず読んだ本の記録として本のカテゴリを作りました。

ワタシが敬愛する小説家、2006年に亡くなった吉村昭氏の最後の長編歴史小説が文庫本になって発売されたので読みました。
 
「彰義隊」  初出:朝日新聞連載 平成16・10・19〜平成17・8・20(247回)
氏の文庫本はほとんど読んでいると思う。しかしこれで新しい歴史小説が読めないのかと思うと残念でなりません。

吉村昭氏の小説は、徹底的な現地調査・文献調査、関係者や子孫の取材、郷土史家への取材等を通して歴史的事実を精査し積み重ね、組み立てていくスタイルの記録文学で、第二次大戦時期を扱った戦記小説、江戸時代から明治期を扱った歴史小説が代表的なものになります。
1966年短編小説「星への旅」で太宰治賞を受賞していますが、一方で同年に発表した「戦艦武蔵」がベストセラーになったことから記録文学のスタイルを確立していき、この分野での評価が高くなりました。ご自身では、短編小説が好きで自分が長編を書くなんて思っていなかったと述懐されています。

氏は東京・日暮里の生まれで、子供の頃から上野公園、谷中墓地、寛永寺は遊び場だったそうで、彰義隊にまつわる逸話伝承も親戚や近所の人々から聞かされて育ったといいます。ただ上野戦争は1日で終わった戦いであり、一将兵の話を書いても小説になるほどの物語があるとは思っていなかったそうですが、輪王寺宮が当時東叡山寛永寺、日光東照宮の山主として寛永寺に在ったこと、そして徳川慶喜の助命嘆願に尽力し、その後も反新政府的な動きをしたことから数奇な運命をたどったことを知り、この小説「彰義隊」に輪王寺宮の生涯を書くことにしたのです。

1868年2月12日、鳥羽・伏見の戦いに破れ、江戸城へ逃げ帰った将軍徳川慶喜が、新政府に対する恭順の意を表し、上野寛永寺に蟄居した。新政府軍の進軍や江戸市中の混乱を憂えた旧幕臣らが上野へ集結し広く同志を集めて慶喜を警護し、また徳川家の存続や将軍慶喜の助命などを目的として渋沢成一郎や天野八郎らを中心に結成されたのが、彰義隊という組織だ。将軍家にとっては恭順に決したからにはこうした反新政府的集団ともとられかねない彰義隊は迷惑ということであっただろうけれど、旧幕臣たちにしてみれば、まだまだ戦力的にも資金的にも優位であったはずの幕府軍がこんなに簡単に敗北を認めてしまうのは到底納得できるものではなかった。
勝海舟と西郷隆盛の交渉で江戸城の無血開城が決定し、寛永寺の慶喜は水戸へ引退謹慎する。入城した新政府側は、江戸の治安維持に当たるとの名目で残っていた上野の彰義隊に解散命令を出すのだが、これを聞き容れない彰義隊側とついに武力衝突となる。

慶喜が寛永寺に蟄居したのは、寛永寺が徳川将軍家の菩提寺となっていると同時に、代々輪王寺宮法親王が一山を管領し、朝廷との縁が深い寺であると考えたからであった。
当時22歳の輪王寺宮は伏見宮邦家親王の第9子として生まれ、後2歳のときに孝明天皇の父仁考天皇の猶子となった宮で、後の明治天皇の叔父にあたる。元治元年(1864年)には輪王寺宮は親王の位の第一等をさずけられ、天台宗の寺の中心となり比叡山、東叡山、日光の三山を管領するようになっていた。

徳川家及び旧幕府側の諸大名は慶喜の謝罪嘆願を朝廷に何とか働きかけようと手を尽くすのだが、まず皇族から将軍家茂に降嫁した和宮に、そしてさらに寛永寺の山主輪王寺宮に働きかけてきた。
輪王寺宮は諸大名からの願書を読み、愛着のある江戸の町が戦火に晒されるのは耐え難く、その願書を容れることを決意し、京へ向けて出立する。しかし新政府軍の進軍は早く、小田原で足止めされる。
東征大総督に任ぜられ駿府城まで進軍してきた有栖川宮熾仁親王が輪王寺宮と対面する。輪王寺宮は有栖川宮に、慶喜が恭順謹慎していることを報告し、朝廷の寛大な処分、さらに江戸武力入城の中止を願い出るのだが、強大な軍事力を背景とした有栖川宮は「なんと愚かしいことを」と切り捨て、憎憎しげに輪王寺宮に対応する。おまけに京に向かう事も許さず、江戸に追い返してしまう。
この有栖川宮は旧幕府に対して個人的な恨みがあったのである。有栖川宮は、実は和宮との婚約が内定していた人物なのである。それが幕府側の強引な要請によって破談させられ、和宮は泣く泣く家茂に降嫁させられることとなった。この心の傷が旧幕府への憎悪となっており、東征大総督という立場で積年の恨みを一挙に晴らそうとしているようだったのである。


あらすじをずっと書いていくときりがないのでこの辺にしますが、ここからがドラマで
上野戦争→彰義隊敗退→輪王寺宮敗走→奥州会津、仙台へ→奥羽越列藩同盟盟主に就任→会津陥落、仙台藩降伏敗退→帰順→京の実家で謹慎→→→
と続いていく。

幕末から明治維新の激動期に、宮家で唯一人新政府に反抗して旧幕府軍についたことで、生涯心の葛藤は大きく、その後の人生にも多大な影響を残してゆくのです。
輪王寺宮のそのときそのときの決断・行動には決して間違ったところはなく、真摯に正しい判断をしている。にもかかわらず、心ならずも朝廷の反対派に回ってしまうと言う、歴史の大きな流れの中での皮肉というのか個人の無力さというのを感じました。

吉村昭資料室
吉村昭-Wikipedia

※有栖川宮別邸が神戸の舞子というところにあり、現在は舞子ビラというホテルになっています。

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