劒岳 点の記
2009/08/19 Wed [Edit]
すこし前に、映画「劒岳 点の記」を観に行った。なかなかいい映画だった。山登りが好きな人はもちろん、そうでない人も偉大な日本の自然の景観と明治の日本人の逞しさに圧倒されると思う。
この映画で劒岳登山客がまた増えるんだろうな。ワタシももう一回登ってみたいと真剣に思ったww
ただ私が見た映画館は古くて映写画質がイマイチであったのがすこし残念。
それでもラストのタイトルバックは素晴らしい景色で最後まで見入ってしまった。
帰りに原作を読もうとジュンク堂で新田次郎「劒岳 点の記」の文庫本を買った。
原作と映画では細かい設定が少々異なっている。
もちろん、主人公の測量手・柴崎芳太郎や案内人・宇治長次郎など登場人物は実在の人物であり、ほぼノンフィクション風の小説になっている。(新田次郎氏は執筆時に健在だった登場人物の後輩や子供たちや柴崎芳太郎氏の妻・葉津よさんには実際に会って取材をしている。)
ワタシがいままで読んだ新田次郎氏の小説は「孤高の人」くらいかな。氏の小説を読んで山岳部に入った人はかなり多いだろう。
ちなみに、新田次郎氏の長男は「国家の品格」がベストセラーになったエッセイストで数学者の藤原正彦氏である。

明治40年に日本地図を完成させる為、それまで前人未踏であった(はずの)劒岳に初登頂した陸軍参謀本部陸地測量部の測量手とその案内人たちの物語。
もともと明治政府で地図を作る測量事業は内務省の管轄であったが、明治11年に陸軍が強引にこの事業を奪い取って陸軍参謀本部測量部に併合してしまった。しかし、軍人だけでは地図は作れないから、測量手は専門技術職の文官である。日清・日露戦争時は戦地での地図の作成も陸地測量部の任務であったが、文官である測量手が所属する三角科は国内で測量を続けていた。日露戦争後は日本国内の地図を完成させることが急務となっていた。
折も折、当時日本ではじめての「山岳会」なるものが発足し、中部山岳地方の5万分の1の地図を開示するように陸地測量部に求めてきた。それは日本で唯一、未踏の山であった劒岳の登頂を目指す為であった。それまで、日本の山で宗教的に開山された山以外で、前人未踏であった山を初登頂・測量してきたのはすべて陸地測量部であって、民間人が初登頂したという山はなかったのである。陸地測量部が未踏であると言うことは、その地方の山間部の地図はまだ白紙であり等高線も引いていない状態であるということだ。陸地測量部の上層部(つまり陸軍参謀本部)は、なんとしてでも国内の地図を完成させること、そのためには中部山岳地方・未踏の劒岳周辺の測量を完遂させること、もちろん「山岳会」などという民間人団体には決して遅れをとらず、劒岳に誰よりも早く初登頂することを下命する。
そもそも越中劒岳は、かの弘法大師が草鞋三千足を費やしても登れなかったという伝説がある山であり、立山信仰では悪業を重ねたものが死後追い上げられる「地獄の針の山」、登ってはならない「死の山」なのであった。
その困難な劒岳測量事業を託されたのは、「山岳会に勝てるのは彼しかいない」と指名された、測量手になって3年目の陸地測量部三角科第四班・柴崎芳太郎であった。
彼は地元の山岳案内人には、明治35年に立山に測量に入り、二等三角点を設定した先輩に推薦された大山村和田の宇治長次郎を頼んだ。彼こそ、剛力の上に俊敏でありしかも謙虚で従順と言う性格のうえに、山を熟知し山登りの勘所を備えた、劒岳攻略の要となる人物なのであった。
この二人の魅力的な人物を中心として、測量手また案内人助手、人夫などの人間関係や三等三角点設置の準備、選定・設置・測量に加え、劒岳登山路の検討やアタックの物語が進行していく。
そして、ついに艱難辛苦の末、劒岳初登頂を果たすのであったが、その山頂で発見したものは。。。
これはかなり有名な話ので知っている人も多いと思うけど、一応書かないでおきます(あらすじ書くのも疲れてきたので、、、汗)
どちらかと言うと、後から読んだからか、小説のほうが感動的だった。
映画は景観が圧倒的で美しいのだけれど、物語の面白さは小説のほうが堪能できる。
どちらもあわせて鑑賞するのが吉でしょう。
それからいろいろ「劒岳」で検索したら、あるわあるわ、やはり人気の山だけに登山記録のブログやホームページがいっぱいあります。
これらを見ていたら本当にまた登りたくなりました。
ワタシが劒岳に登ったのは、高校2年の夏休みです。
高校では山岳部に所属していたんだけれど、この山岳部はアホばか山岳部で、近所の山に行っては酒飲んだり、タバコ吸ったりしていたのでしたww
まじめに登山したのは、一年の時の大峰山とこの劒岳ぐらいではなかろうか。
当時はテントも黄色い布地でやたらと重かった。荷物は一人45〜50kgぐらいは担いでいた。
登山ルートは
室堂→雷鳥沢→剣御前小舎→劒沢キャンプ
劒沢キャンプ→劒岳頂上
劒沢キャンプ→別山→真砂岳→富士ノ折立→大汝山→雄山→一ノ越→浄土山→室堂
こんな感じだったと思うが、記憶が定かではないww
劒沢キャンプでは風がめちゃくちゃ強く、隣の女子ばかりのパーティのテントが吹っ飛びそうになり、一緒にいったOB連中が必死で助けてやっていた。
劒岳の頂上はガスが出ていてなんも視界がなかったのは良く憶えている。
立山縦走の時は晴れ間が出てきて、黒部ダムが眼下に見えた。この頃はもう足がガクガクでひざが笑っていた。
いろいろ見つけたブログ・HPなど
立山・剣岳登山記2004
剣岳ブログその1
剣岳ブログその2
剣岳ブログその3
映画「劒岳 点の記」公式サイト
なぜせっかく劒岳に登ったのに、この小説をその時に読んでいなかったのかとても不思議だったんだけれど、よく考えてみると、この小説が発表されたのは私たちが劒岳に登った数年後だったのであった(汗)
この映画で劒岳登山客がまた増えるんだろうな。ワタシももう一回登ってみたいと真剣に思ったww
ただ私が見た映画館は古くて映写画質がイマイチであったのがすこし残念。
それでもラストのタイトルバックは素晴らしい景色で最後まで見入ってしまった。
帰りに原作を読もうとジュンク堂で新田次郎「劒岳 点の記」の文庫本を買った。
原作と映画では細かい設定が少々異なっている。
もちろん、主人公の測量手・柴崎芳太郎や案内人・宇治長次郎など登場人物は実在の人物であり、ほぼノンフィクション風の小説になっている。(新田次郎氏は執筆時に健在だった登場人物の後輩や子供たちや柴崎芳太郎氏の妻・葉津よさんには実際に会って取材をしている。)
ワタシがいままで読んだ新田次郎氏の小説は「孤高の人」くらいかな。氏の小説を読んで山岳部に入った人はかなり多いだろう。
ちなみに、新田次郎氏の長男は「国家の品格」がベストセラーになったエッセイストで数学者の藤原正彦氏である。

明治40年に日本地図を完成させる為、それまで前人未踏であった(はずの)劒岳に初登頂した陸軍参謀本部陸地測量部の測量手とその案内人たちの物語。
もともと明治政府で地図を作る測量事業は内務省の管轄であったが、明治11年に陸軍が強引にこの事業を奪い取って陸軍参謀本部測量部に併合してしまった。しかし、軍人だけでは地図は作れないから、測量手は専門技術職の文官である。日清・日露戦争時は戦地での地図の作成も陸地測量部の任務であったが、文官である測量手が所属する三角科は国内で測量を続けていた。日露戦争後は日本国内の地図を完成させることが急務となっていた。
折も折、当時日本ではじめての「山岳会」なるものが発足し、中部山岳地方の5万分の1の地図を開示するように陸地測量部に求めてきた。それは日本で唯一、未踏の山であった劒岳の登頂を目指す為であった。それまで、日本の山で宗教的に開山された山以外で、前人未踏であった山を初登頂・測量してきたのはすべて陸地測量部であって、民間人が初登頂したという山はなかったのである。陸地測量部が未踏であると言うことは、その地方の山間部の地図はまだ白紙であり等高線も引いていない状態であるということだ。陸地測量部の上層部(つまり陸軍参謀本部)は、なんとしてでも国内の地図を完成させること、そのためには中部山岳地方・未踏の劒岳周辺の測量を完遂させること、もちろん「山岳会」などという民間人団体には決して遅れをとらず、劒岳に誰よりも早く初登頂することを下命する。
そもそも越中劒岳は、かの弘法大師が草鞋三千足を費やしても登れなかったという伝説がある山であり、立山信仰では悪業を重ねたものが死後追い上げられる「地獄の針の山」、登ってはならない「死の山」なのであった。
その困難な劒岳測量事業を託されたのは、「山岳会に勝てるのは彼しかいない」と指名された、測量手になって3年目の陸地測量部三角科第四班・柴崎芳太郎であった。
彼は地元の山岳案内人には、明治35年に立山に測量に入り、二等三角点を設定した先輩に推薦された大山村和田の宇治長次郎を頼んだ。彼こそ、剛力の上に俊敏でありしかも謙虚で従順と言う性格のうえに、山を熟知し山登りの勘所を備えた、劒岳攻略の要となる人物なのであった。
この二人の魅力的な人物を中心として、測量手また案内人助手、人夫などの人間関係や三等三角点設置の準備、選定・設置・測量に加え、劒岳登山路の検討やアタックの物語が進行していく。
そして、ついに艱難辛苦の末、劒岳初登頂を果たすのであったが、その山頂で発見したものは。。。
これはかなり有名な話ので知っている人も多いと思うけど、一応書かないでおきます(あらすじ書くのも疲れてきたので、、、汗)
どちらかと言うと、後から読んだからか、小説のほうが感動的だった。
映画は景観が圧倒的で美しいのだけれど、物語の面白さは小説のほうが堪能できる。
どちらもあわせて鑑賞するのが吉でしょう。
それからいろいろ「劒岳」で検索したら、あるわあるわ、やはり人気の山だけに登山記録のブログやホームページがいっぱいあります。
これらを見ていたら本当にまた登りたくなりました。
ワタシが劒岳に登ったのは、高校2年の夏休みです。
高校では山岳部に所属していたんだけれど、この山岳部はアホばか山岳部で、近所の山に行っては酒飲んだり、タバコ吸ったりしていたのでしたww
まじめに登山したのは、一年の時の大峰山とこの劒岳ぐらいではなかろうか。
当時はテントも黄色い布地でやたらと重かった。荷物は一人45〜50kgぐらいは担いでいた。
登山ルートは
室堂→雷鳥沢→剣御前小舎→劒沢キャンプ
劒沢キャンプ→劒岳頂上
劒沢キャンプ→別山→真砂岳→富士ノ折立→大汝山→雄山→一ノ越→浄土山→室堂
こんな感じだったと思うが、記憶が定かではないww
劒沢キャンプでは風がめちゃくちゃ強く、隣の女子ばかりのパーティのテントが吹っ飛びそうになり、一緒にいったOB連中が必死で助けてやっていた。
劒岳の頂上はガスが出ていてなんも視界がなかったのは良く憶えている。
立山縦走の時は晴れ間が出てきて、黒部ダムが眼下に見えた。この頃はもう足がガクガクでひざが笑っていた。
いろいろ見つけたブログ・HPなど
立山・剣岳登山記2004
剣岳ブログその1
剣岳ブログその2
剣岳ブログその3
映画「劒岳 点の記」公式サイト
なぜせっかく劒岳に登ったのに、この小説をその時に読んでいなかったのかとても不思議だったんだけれど、よく考えてみると、この小説が発表されたのは私たちが劒岳に登った数年後だったのであった(汗)



