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意味がなくてもスイングする 

B.B.King - King of The Blues -

2008/03/29 Sat [Edit]

キング・オブ・ザ・ブルーズ B.B.King
一時期ブルースをよく聴いていたが、やはりB.B.Kingが一番だ。

B.B.King:本名Riley B. King
1925年9月16日ミシシッピ州イッタ・ベナ生まれ
B.B.King 公式HP

<略歴>
1929年 4歳の時、両親が離婚、母方の祖父母にミシシッピのキルマイケルで育てられる。
1934年 9歳の時、母親が亡くなる。
1940年父親の新しい家族と一緒にミシシッピのレキシントンに移る。
1946年母親の遠い親戚でもあるブルースマン、ブッカ・ホワイトについてまわり一緒に工場で働く。その後、ミシシッピに戻りゴスペル・グループでの仕事、ストリート・コーナーでのブルース・マンとしてキャリアをつむ。

1948年一人でメンフィスに移り、KFFA局をたずねラジオ番組をやっていたサニー・ボーイIIに自分の歌を売り込む。そこで気に入られ、サニー・ボーイのラジオ番組の最後で歌わせてもらえることになる。さらに勢いづいてラジオ局WDIAへ乗り込み、またまた自分で売り込みをかけ"ぺプティコン"という飲料のCMソングを作り、DJをやり、歌を歌う仕事にありつく。King's Spot(キングズ・スポット)という10分間番組。その後、妻マーサもメンフィスに呼び寄せる。

この頃、DJのニックネームとして、「ビール・ストリート・ブルース・ボーイ The Beale Street Blues Boy」と呼ばれるようになった。(ビール・ストリートはラジオ局WDIAがあった通りの名前)Bが3つもあって呼びにくいので「ブルース・ボーイ」となり、さらに縮めて「ビー・ビー Bee Bee」と略し、まもなく「B.B」と名乗るようになった。親しい友達は、さらに「B」と縮めて呼ぶようになる。

1949年ラジオ局のボスを説得し、レコード会社を紹介してもらい、初めてB.B.キング名義でシングル2枚分4曲をレコード録音する。
曲名
"Take A Swing With Me"
"How Do You Feel When Your Baby Packs Up And Goes"
"I'v God The Blues"
"MIss Martha King"
(この録音ではバックに、後にジャズ・ピアニストとして有名になるフィニアス・ニューボーン・ジュニアが参加していた。)
しかし、レコードはさっぱり売れず、しかもこのレコード会社ブレット・レコーズは倒産してしまう。



1949年12月アーカンソー州ツイストという街へギグに出かけた。
そこのナイト・クラブ(と言うのは名ばかりで、凍えそうなボロ家の単なるでかい部屋)で歌っていたところ、踊っていた客が喧嘩を始め、乱闘騒ぎになり火が出てそこのボロ家が大火事になった。B.Bは何とか外へ逃れたが、気がつくとギターを忘れてきた。轟々と燃え盛る炎の中をギターを取りに駆け戻り、足に火傷を負いながらもなんとか取ってくることができた。聞くところによれば、この騒ぎの原因は、ルシールという女の取り合いであったらしい。そこでB.Bはこの記念すべき夜に、記念すべき名前で自分のギターを洗礼しようと決め、二度とこんな馬鹿なことはしないという決意を込めて、自分のギターをルシールという名前で呼ぶことにした。それ以来、彼のギターは「ルシール Lucille」と呼ばれている。
※2005年 B.B.Kingの生誕80周年には、ギブソンから世界限定80本のGibson Custom Shop B.B.KING 80th Birthday ES-355 "Lucille"が発売された。

B.B.Kingのギター・スタイルは当初Tボーン・ウォーカーに影響を受けるが、後に弦をチョーキングして、効果的にブルーノートを入れる独自のスクィーズ・スタイルを編み出す。

1950年から1951年にかけてフィリップスで5枚のシングルを録音。
1951年後半、「スリー・オクロック・ブルース Three O'Clock Blues」をブラックYMCAで録音。これは1948年のロウェル・フルソンのヒット曲のカヴァーであったが、この曲が大ヒットする。
1952年2月R&Bチャートで「スリー・オクロック・ブルース」が1位を記録。このヒットで彼の名は全国的に知られるようになる。
1950年からABCに移る1961,2年ごろまでRPMで200曲以上を録音する。

1955年にはフルタイム・バンドを率いてバスで全国を回るツアー生活に入る。
所謂チトリン・サーキット(クラブハウス巡業)である。
※こうしたチトリン・サーキットの模様は「ザ・ブルース ムーヴィー・プロジェクト」 の中の「ロード・トゥ・メンフィス」に詳しく描かれている。

1950年代には多くのヒットを放ち、エレクトリック・モダン・ブルース〜アーバン・ブルースの第一人者として認められる。

以後、50年以上にわたって毎年200以上のギグ、ライブ、コンサートを全米、全世界で行っている。その持続力、パワーは驚異的、超人的だ。
(公式HPを見ると現在も毎日のようにライブやってる!82歳になってるはずなんだけど。
去年だったか、肺炎で入院したというニュースを聞いたけれど、お元気そうで何よりです。)

1962年ABC-パラマウント・レコードと契約。
この頃リリースするシングル・レコードはコンスタントに5万〜10万枚は売れていた。

※1960年代後半にはエリック・クラプトンをはじめとするロック・ギタリストからトリビュートされ、アルバート、フレディとともに3大キングと称され人気を博す。

1969年ザ・ローリング・ストーンズのアメリカ・ツアーでフロント・アクトを務め、若者にも人気が出る。
1970年「Thrill Is Gone」でグラミー賞(最優秀R&Bヴォーカル・パフォーマンス)受賞。
1984年ブルースの殿堂入り。
1987年ロックンロールの殿堂入り。
1989年U2と共演。シングル「When Love Comes To Town」

1990年ブッシュ大統領から「大統領芸術勲章」授与される。

1998年セルフ・プロデュース・アルバム「Blues on the Bayou 」で9つ目のグラミー賞受賞。
グラミー賞は1970、81、83、85、90、91、93、95年に獲得。

2000年「Riding with the King」エリック・クラプトンとのフル・アルバム共作。
2005年80歳記念アルバム「80」ではエリック・クラプトンをはじめ、ヴァン・モリスン、グレン・フライ、シェリル・クロウ、ボビー・ブランド、エルトン・ジョン、ダリル・ホール、ZZトップのビリー・ギボンズや、ダイアー・ストレイツのマーク・ノップラー、グロリア・エステファンなど豪華ゲストとともに様々な曲を聞かせてくれた。


1949年以降オリジナルLPレコード、CDは60枚以上リリースされている。
海外盤、日本国内盤、リイッシュ、ベスト盤、編集盤も含めると訳わからないくらい種類がある(汗)
レコード、CDの紹介は次回にします。
                                             - つづく -

だから私はブルースを歌う―B.B.キング自叙伝だから私はブルースを歌う―B.B.キング自叙伝
(2001/03)
B.B. キング、David Ritz 他

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「これはブルースの物語である。ブルースはシンプルな音楽だし、私もシンプルな人間だ。だがブルースは科学ではない。ブルースは数学のように分解できるものではない。ブルースとは謎である。そして謎というものは、見かけほどシンプルではないのである。」--だから私はブルースを歌う B.B.King自叙伝より


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